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兵庫・奈良・大阪
2006年5月15日〜18日
5月15日 東京京都高槻高槻市駅総持寺勝尾寺中山寺大阪三井アーバンホテル
5月16日 藤井寺施福寺紀三井寺粉河寺壷坂寺岡寺
5月17日 近鉄奈良長谷寺
5月18日 橿原神宮春日大社東大寺大阪〜東京
2006.5.15(月)
東京
茨木市・22番総持寺
箕面市・23番勝尾寺
宝塚市・24番中山寺
三井アーバンホテル






西国三十三ヶ所札所巡拝も3回目になる。
早起きして東京駅から新幹線に乗り 京都駅へ9:30到着。
普通電車に乗り換えて高槻に向かう。
東海道線・高槻駅前

JR高槻駅から歩いて駅前商店街を抜け約10分位で阪急高槻市駅、そこから2つ目の今日最初の目的地西国二十二番札所・総持寺駅へ。
高槻センター街を抜けて阪急高槻駅へ

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駅から歩いて5分くらい 総持寺 山門前に着く。
山門は新興住宅地にびっしり囲まれた中に堂々とそびえていた。

境内に入りると 山門横亀の井の池前にある御堂は包丁塚で毎年4月18日室町時代から続く『包丁さばき』の儀式が行われる。
それほど広くない境内は形のいい松やそてつが本堂を飾っている。本堂は戦国時代織田信長の兵により焼かれたが ご本尊は下半身だけ焼かれ残って 本堂は豊臣秀頼により再建されたものだ。

西国二十二番札所 総持寺
お参りして 記帳をしていただき総持寺駅へ戻る。又 阪急電車に乗り南茨木駅で大阪空港行きのモノレールに乗換へて千里中央駅へ。




千里中央駅からはバスに乗り40分位 明治の森箕面国定公園内にある今日2ヶ所目の西国二十三番・勝尾寺へ着く。



1603年豊臣秀頼再建という朱塗りの山門をこぐると参道両側には石楠花がびっしり囲み 正面は山に向かって石段が続いて その先にそびえている山々の中に堂宇が点在して山城のような風情だ。

西国二十三番札所勝尾寺

多宝塔
石段を左に登りきるとだるまの奉納棚に奉納された無数のだるまが並んで壮観だ。

更に薬師堂、大師堂で中には四国八十八ヶ所から持ち帰った砂が納められた地蔵が並び足で砂を踏んでいくと八十八ヶ所を巡拝した功徳があるというので全部踏みながらお参りする。
大師堂から本堂前へ進みお参りする。本堂前の納経所で朱印を授けていただく。



入口休処横には大きな池

入口に戻りお休みどころで勝ちだるまをお土産に買い 13:48分のバスの時間まで前の池で鯉に餌などやりながら待つ。

阪急中山駅から中山寺門前商店街
勝尾寺バス停留所へ行くと 本数が少ないので すでに小さな行列が出来たいた。バスに乗り山道を下って千里中央に戻る。
千里中央駅からモノレールで蛍池へ向かいそこで阪急電車に乗り換え宝塚線の中山駅で下車。


中山駅は食堂や土産物を売る商店が短い門前街作っていて、そこを抜けるとすぐ左に西国二十四番・中山寺山門に出る。





安産の信仰が生きるお寺で山門を入ると左右に土塀が続き中は一院ごとに生まれ歳の守り本尊を祀っている。
石段を登ると右にエスカレーター左に石段が並ぶ珍しい風景。
その正面が本堂だ。
安産の祈祷やお礼参りの女性姿が目に付く。

石段をおりて左の納経所で記帳をしてもらい門前町を中山駅に戻る。




ホテルコムズ大阪(三井アーバンホテル)
中山寺から阪急電車で阪急梅田駅へ。
梅田からは歩いて10分くらいの三井アーバンホテル(ホテルコムズ大阪)にチェックインする。ホテルで休憩して『梅田ヨドバシyahooビーパル』でパソコン借りインターネット見たあと阪神デパート地下でおすし・みそとんかつ・コロッケ・たこ焼きなど買ってホテルの部屋で夕食。

2006.5.16(火)
大阪・ホテル
藤井寺市・5番藤井寺
泉市・4番施福寺
和歌山市・2番紀三井寺
紀ノ川市・3番粉河寺
奈良県高市・6番壷坂寺
奈良県高市・7番岡寺
橿原神宮前・ホテル


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6:30早起きしてホテルで朝食。
今日はレンタカーで大阪〜和歌山〜奈良と少しハードな一日になりそう。
朝食後トヨタレンタカーからホテルに迎えに来てもらい近くの営業所でレンタル手続き。
カーナビに西国5番・葛井寺(藤井寺)を入れてもらい少し緊張しながら初めて運転する大阪市内から阪神高速に入り〜西名阪自動車道藤井寺ICで降りて参道近くの葛井寺商店街の駐車場に8:40分到着する。
初めての関西地方での運転で車を降り延びをしながら参道商店街を抜けて葛井寺境内へ。

西国五番札所・藤井寺 仁王門



藤井寺というと近鉄バッファローズのフランチャイズ藤井寺球場が頭に浮かぶ。今は閉鎖されてしまったが二軍戦で来た事が遠い記憶の中に残っている。地図で見るとお寺からは数百メートルの近さだ。まだあの球場は残っているのだろうか、行ってみたい衝動にかられるが気持ちをお参りに切り替える。

藤井寺本堂
葛井寺は聖武天皇の命により七百二十五年建立された古刹だ。境内は小石が敷きつめられ寺名にちなんだ藤や松の木が植えられている。

葛井寺本堂内
葛井寺は開山はたいへん古いが戦火を何度も受け正面の本堂は1753年再建されたものだ。

今も祀られているご本尊は開山時のものでお寺は何度もの戦火で焼かれたがご本尊は度々の戦火を免れた仏像で 聖武天皇はその仏像を祀る為に堂宇を建立させてそうだ。

藤井寺商店街
又商店街を抜け駐車場に戻り和泉市の西国四番・施福寺へ向う。


藤井寺から阪和自動車道に入り山村の道を槇尾山・施福寺へ。
西国札所中で3つある難所寺のひとつで駐車場の小さなお店から直ぐに山道に入りる。
下の駐車場売店から山道に入る
駐車場から直ぐの仁王門、ここから長い山道に入る
仁王門を抜けると急に山の香りが立ち込めてくる。
モミジが根をむき出しにし 大樹の葉で陽がさえぎられ土も湿っているせいだろうか。
杉林の林立する参道は湿った上に急坂で足元が不安定で革靴で来たのが思慮に欠け悔やまれた。
何組もの白装束のお遍路さんのグループとすれ違いながら参道を半分くらい登ってきたのだろうか、後の弘法大師 空海が二十歳の時剃髪した御堂・愛染堂の前に来る。

大師が剃髪された 愛染堂は大師手作りと伝えられる愛染明王が祀られている。
愛染堂から長い急な石段を上がるとやっと本堂だ。最後の登りで元気が出て百数十段の石段を一気に上りきると山上の平地に出た。
本堂にお参りしてご朱印をいただき境内でひと休みする。
お遍路さんばかりでなくハイキング姿の方もいて境内は賑やかだ。

歩き遍路の頃の石の道標

さっき息を切らせて登ってきた 長い急な下りの参道を駐車場へ戻り、和歌山市の 二番札所・紀三井寺へ向う。
何処をどう走っているのか見当もつかないまま和歌山市に入る。
カーナビというのは本当に素晴らしい発明と思う。昔であれば目的地に着くまで何度車を止め地図を見なければならなかっただろう。
紀三井寺にはAM11:30到着する。



山門前には土産物を売る商店が軒を連なっている。門前の商店街の正面にそびえたつ山門をくぐり急な石段を一直線に登っていく。
石段の途中右側に清水があり『清浄水』と呼ばれ他に山内には『吉祥水』『楊柳水』の三つの泉(井)に紀州の紀をつけ紀三井寺と呼ばれている。



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本堂                






231段の石段を登りきると境内には鐘楼、六角堂、大師堂が並んでいる。ご本尊は疫病厄難から救済して下さる十一面観音様。








境内からは和歌山市内〜和歌浦湾の遠望が広がっている。
  






紀三井寺から和歌山線を並行しながら40〜50分走り三番・粉河寺へ
以前の門前町は写真ではつい最近まで土蔵造りの商家がびっしり並ぶ街だったのに自動車が行き交い易くする為拡幅され特徴のない商店街になっていて少し興ざめ。

大門を入ってつきあたりが本坊である御池坊。
花王院、白河、鳥羽、後白河などの天皇がここで休息され鳥羽院から『御池坊』の勅号を賜ったそうだ。

立派な中門をくぐると二層のかわら屋根をもつ本堂。本堂脇の六角堂なは西国三十三ヶ所の観音像が納められていた。


予定より2時間も早く今日の予定を終えたので橿原神宮近くのホテルと同方向の六番・壺阪寺と七番・岡寺に寄ってホテルに向かう事にする。
粉河寺から国道24号線大和街道を走り約1時間で壺阪霊験記で有名な壺阪寺に着く。

西国六番札所・壺阪寺(南法華寺)平成15年建立の多宝塔
南法華寺が正式名だが壺阪寺の方が耳にしている寺名だ。

お里と盲目の澤市の壺阪霊験記ではここの観音様に二人の祈りが届き目が開く物語だが、以前耳にした話しで記憶に残っているのだが、谷に身を投じた二人が奇跡的に命をとり止め澤市の目が開いたのは、白内障で失明していた澤市の白濁した水晶体が谷に身を投じたショックで前房に外れた為 僅かに見えるようになったでは、という話を眼科医から聞いた事がある。


皆朱塗りの派手な建物が多い寺だが、派手さと裏腹に、お里・澤市の信仰を受け継いで、お寺自体が身寄りのない盲老人を預かる盲人施設や「匂いの花園」「音の図書館」海外での救ライ事業などいろいろ社会福祉事業を積極的に行っている。


大きなメガネのモニュメント      
大きなメガネの右から左に手を合わせて抜けると視力にご利益があるのいうのでその通りしてみる。
本堂にお参りしてご朱印をいただく。



西国七番札所・岡寺仁王門     
壺阪寺から最後の訪問寺七番札所・岡寺へ向かう。
大急ぎで車を走らせ16:10分岡寺に到着 閉山時間ぎりぎりだった。
岡寺は明日香の中心にある。


近くには飛鳥寺、酒船石、川原寺、飛鳥資料館、高松塚古墳をはじめ天皇陵も多々あるのに時間がなく見られないのが心残りだが又いつかゆっくり来たいと思う。
深い緑に包まれた岡寺は仁王門を入ると立派な石垣が立ちはだかっている。



本堂には弘法大師がインド・中国・日本の3国の土で作られたと言い伝えのある国宝 御本尊 如意輪観音が祀られている。

岡寺を後にして宿泊先の橿原ロイヤルホテルへ。


橿原ロイヤルホテルロビー    


中華レストラン『鳳凰』



チェックインした後近鉄大和八木駅近くにレンタカーをに返却して電車で橿原神宮駅に戻ってホテルへは18時過ぎに着く。
部屋には浴衣でなく作務衣が用意されていた。
作務衣に着替えて ホテル自慢の温泉「かしはらの湯」へ 。

お風呂から帰り夕食は中華レストラン『鳳凰』で中華のコース。とても充実した内容で嬉しかった。

給仕をしてくれた女性に旅行について聞かれ『札所巡りしているんですよ』といっても札所巡りが何か理解できない様子で説明したが 地元の若い人でもはこんなに身近な所にある札所について知られていないのが以外だった。しかし明日香村の人は札所より飛鳥時代の遺跡群が脳裏を占めているのだろうから無理もない。



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橿原ロイヤルホテル
館内案内より抜粋
温泉大浴場  名称:かしはらの湯
泉質: ナトリウム-塩化物温泉(高張性・弱アルカリ性・低温泉)
一般的適応症: 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔病、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進など

一般的禁忌症: 急性疾患(特に熱のある場合)、活動性の結核、悪性腫瘍、重い心臓病、呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、その他一般に病勢進行中の疾患、妊娠中(特に初期と末期)
入浴可能時間: 朝:午前5時から午前10時まで、夜:午後3時から午前1時まで
温泉「かしはらの湯」
ひのき風呂(ミストサウナ付)と、風情あふれる岩風呂(ドライサウナ付)を男湯・女湯と日替わりで入れ替えますので、両方のお風呂をお楽しみ頂けます。いにしえの旅に加わる新たなくつろぎのひとときを、ぜひ橿原ロイヤルホテルでお過ごし下さい。※ お願い ※湯上りにごゆっくりくつろいでお休み頂く為に、作務衣をご用意致しましたので、地下一階の温泉大浴場「かしはらの湯」へは、どうぞ作務衣でおいで下さいませ。
17:00〜翌朝10:00迄は、8Fレストラン及びバーラウンジを除き館内すべて作務衣でのご利用が可能でございます。




長時間の運転でとても疲れたいたのかお風呂上りの身体に老酒が心地く沁みていった。
部屋の窓のすぐ下は近鉄・橿原神宮駅で右前方には橿原神宮の森がひろがっている。

2006.5.17(水)
橿原ロイヤルホテル
桜井市・長谷寺
ホテル


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NO-SIDEホームへ
HOME
ゆっくり起きて朝食。
天気予報通り朝から雨。 ホテル直ぐ横の近鉄橿原神宮駅へ。
橿原神宮駅から大和八木で乗換八番札所長谷寺に向かう。

駅から長谷寺に向かう道は雨のせいか人影もまばら、お土産物の並ぶ門前商店街の先に石段が見える。
長谷寺は花の寺として有名で入口の石段脇には 終わりのぼたんが雨にうたれ しっとりときれいに咲いていた。

仁王門を抜けると長い石段の登廊が威厳を持って参詣者を向かい入れる。1039年春日大社の社司中臣信清が、子の病気平癒の御礼に造ったもので、399段、上中下の三廊に分かれている。

ゆっくりゆっくり 一歩一歩 いにしえの風情を感じながら真っ直ぐに上がり右に折れ更に進むと高い舞台作りの本堂に出る。


本堂前の札堂は清水寺の舞台のような大きなものではないが、海のような緑一面木々を見渡す立派な造りだ。

本堂から緑の道を周りながら五重の塔、長谷寺の最初の御堂を見てお寺を後にする。




ホテルに戻りお風呂に入り夕食。
今日は和風レストラン『まほろば』で懐石料理。


2006.5.18(木)
橿原ロイヤルホテル
近鉄奈良
興福寺・南円堂
春日大社
東大寺
近鉄奈良
京都
東京

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8:00朝食後チェックアウトして歩いて橿原神宮を見学する。
橿原神宮は御祭神の神武天皇が畝傍山の東南・橿原で即位の礼を行われた宮あとに、明治23年に創建された。

 
橿原神宮駅から近鉄奈良駅へ、荷物を奈良駅のコインロッカーに預ける。近くに春日大社や東大寺など奈良観光の中心地らしく修学旅行の生徒や観光客で溢れている。


駅を背にして大通りを進みすぐに右に折れ公園の石に腰掛ておやつを出して休憩していると放し飼いの鹿がよってきて食べ物をねだってくるので近くの売店でえさを買って与えると周りの鹿が群れをなして寄ってきてすごいけんまくで逃げるように南円堂へむかう。

九番札所・興福寺 南円堂は興福寺の一院でその広大な境内の隅にひっそりとたたずんでいる。向かい合ってそびえる五重塔は観光客がひしめいているが南円堂は信仰の場として落ち着いて快い。


南円堂 脇の納経所で朱印をいただく。

南円堂のお参りして猿沢の池へ下りる。
JR奈良駅そばで次女夫婦が夏休み関西旅行の際滞在予定のホテルを下見に行く。


猿沢の池畔戻りベンチにかけて、40数年前 中学校の修学旅行で来た時 ここの石段に整列し制服姿で記念写真を撮ったのが思い出される。
猿沢の池も石段も記憶の中では当時のままだ。


春日大社
猿沢の池から興福寺本堂〜春日大社参道〜東大寺三月堂〜二月堂と歩く。奈良は長い日本の歴史を刻んだ姿がまだまだ残っていて京都よりも好きだ。


二月堂


東大寺二月堂



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大仏殿では中学校の修学旅行の時皆とこぐった柱が大仏の右側にあったが今ではこぐり抜けるのはとても無理 当時の体型と年令がなつかしい。




大仏殿の柱の穴




大仏殿から近鉄・奈良駅に戻り16:16分の電車で京都駅へ。
駅近くの居酒屋『すいしん』へ、この居酒屋はここ数年京都に来るたび寄って今度で4回目だ。
JR京都駅で新幹線の時間までまだ間があり 伊勢丹に寄って洋服やお土産にぶたまん・ゆば など買って20:39のひかり で帰路に着く。

終

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